誕生日と死者の日と命日
今日、久しぶりに人の死に触れる機会があった。
肉親や知人が亡くなった訳ではない。
知人と言うにも及ばない。
僕はその人の事を昨日、それも一方的に知った。
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ここ数日、9人殺した男についてのニュースでテレビが賑わっている。
9人の内の大部分は自殺志願者だったとかなんとか…
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その人は確かに今日亡くなった。今日の朝方に。
夕方には、その人がいた痕跡は何も無かった。
誰もが何事も無かったかのようで、今日の夕方もまた、ありふれた穏やかな秋の夕方だった。
勿論逐一取り立てて騒いでいたら身も心も保たない訳だし、それについて文句を言うつもりもない。
僕だって、「ああ、あの人亡くなったんだ」と少しセンチになるくらいで、こうやってブログの初記事をせっせと書いているわけで。
人は死ぬ。勿論毎日。
毎日が何かの記念日で、誰かの誕生日で、誰かの命日。
人の命は重いけれども軽い。
本当に、明日なんて来るかわからない。
僕はこの事を2年半前に身をもって体験している筈なのに。
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生きていく上で大事な事、その“いろはのい”は、やはり今を、自分の人生を生きるという事だと思う。
でも今を生きるって具体的に何したらいいんだ?
会いたい人には会える時に会う。
しておきたい事はする。
これ程当たり前なのに、これ程難しいことあるのか?
やはり人生は難しい。
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今日11/2は、中南米では死者の日と呼ばれる祝日で、家族や友人達が集まって故人への思いを馳せて語り合うそうです。
前々から日々思うことを形にして残しておいたり、好きな音楽について書くためにブログを始めたいと思っていましたが、死を身近に感じたこの象徴的な日をブログの誕生日にしたいと思い、突貫工事で記事を書きました。
このブログを読み返すことで、少しでも生を意識出来たらなあと思います。
当たり前のことこそ、日々意識して過ごすのは難しいのです。
ずぼらで飽き性なのでのらりくらりと気が向いた時にしか更新しないと思います。
また最初の記事ということもあって仰々しく書きましたが、基本的に日常の事に関する雑多なブログにしたいと思っております。
どうぞよろしくお願いします。